みちびき
★ 宇津ノ谷トンネル(静岡県) ★
−親子孫トンネル−
文面作成:2018 ⁄ 5 ⁄ 20
(最終更新:2019 ⁄ 03 ⁄ 23)


「親子孫トンネル」について

文字通り「親子孫」ということで、同一峠で3代のトンネルが健在な場所を紹介する。

土木技術の進化と交通量増加より峠には新たなトンネルが建設され、先代のトンネルは廃されることが多い。そのため複数代のトンネルが廃されず残るのは希少と考え、お題として取り上げた。


「宇津ノ谷トンネル」の場所



レポートリスト

 
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■宇津ノ谷トンネル

今回紹介するのは、国道1号上の静岡県藤枝市(訪問当時は岡部町)と静岡市の間にある『宇津ノ谷峠』を通るトンネルである。同峠は中世より交通の要衝となっており、標高は151mと思ったより高くはない。

ここに時代ごとの計4本のトンネルが通り、それが何れも現役で残されているという。2004年7月に別件で静岡を訪れる機会があり、宇津ノ谷峠へ立ち寄り全てのトンネルを巡ったので経過をレポートする。


トンネルを巡る前に、現地の案内看板(2箇所)を確認しよう。3本のトンネルには「明治」「昭和」「平成」と表記されているが、残る1本は「大正」記載と「昭和初期」記載と各々異なっている

これは該当トンネルが「大正15年着工、昭和5年開通」だったことから、どちらの年号で表したのかの違いだと推測している。ここでは併記しつつも、個々の時代変遷を明確にしたく「大正」表記をメインとした。


改めて、国土地理院の電子地形図で各トンネルの位置をおさらいする。“親”となる明治のトンネルの西側に“子”となる大正のトンネルが、“親”の東側に“孫”となる昭和と平成のトンネルが通っている。

“親”トンネル上には旧東海道が通り、興味はあるがトンネルではないということと、当日の時間猶予が無いことから「チラ見」(笑)に留めた。


■昭和/平成のトンネル

まずは現行のトンネルとなる、「昭和」「平成」のトンネルに向かおう。国道1号として、今も多くの車が行きかうトンネルである。少し離れた路肩スペースに車を停め、そこから写真撮影を行った。

上記画像で向かって
 ・(左)上り車線:昭和34年開通の「昭和」
 ・(右)下り車線:平成10年開通の「平成」

の各トンネルとなる。
今回は遠くからのトンネル観察のみとしたが、機会があれば改めて手前の歩道橋から近距離でのトンネル撮影をしたい。


■大正(昭和初期)のトンネル

上記でも触れた、大正と昭和を挟んで造られたトンネルである。こちらは静岡県道として現役続行中である。交通量がほとんどないこともあり、トンネルの近場に車を停めてトンネルへ歩み寄った。

 ・大正15年着工、昭和5年開通の「大正」
開通時期にしてはコンクリート製と違和感があるが、年数経過もあり恐らく途中で改良されたのだと思う。だが如何せん、道幅が広くなく近代の交通量を捌けないであろうことは容易に想像できる。


■明治のトンネル

大正のトンネル口手前にて県道より別れ、遊歩道を歩いた先に見えてくるのが「明治」のトンネルである。トンネル内部はレンガ巻きでガス灯風照明が照らし、当時の趣を感じさせてくれる。

 ・明治9年開通(明治37年に改修)の「明治」
なお、トンネル開通当時は有料道路だったとのこと。トンネルから遊歩道に戻ると、その脇から旧東海道へ向かえる山道があるという。途中で記した通り、時間制約のため「チラ見」レベルで足を延ばした。


■旧東海道(峠越え)

遊歩道より山道経由で、旧東海道であった道へ出た。道は宇津ノ谷峠を目指し、高度を上げていく。江戸時代はここを、西国の大名たちが参勤交代で行き来したのだろう。ひとりその風景を想像してみた。

峠の標高が150m程度なので徒歩で峠まで行けそうな気がしたが、冒頭からの「時間的余裕」と運動不足という我が身の問題(汗)も重なり断念。なお、駐車していた愛車に戻ると近所の方より車が邪魔と注意されたことは内緒である…



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