みちびき
★ 海を越えた鉄道1(滋賀県〜福井県) ★
−ヒストリート(歴史通り)−
文面作成:2020 ⁄ 07 ⁄ 23
(最終更新:2020 ⁄ 07 ⁄ 23)


「ヒストリート(歴史通り)」について

ヒストリートは“ヒストリー(歴史)”と“ストリート(通り)”を合わせた造語であり、ここでは歴史にこじつけて絡んだ道たちを紹介する。
あくまでも道の紹介であるため、歴史的な深堀までは行わないため悪しからず。


「海を越えた鉄道1」の場所



レポートリスト

 
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■東海道本線全通より先に開通

2020年6月19日に文化庁は「日本遺産」に、滋賀県長浜市、福井県敦賀市ならびに南越前町が申請していた「海を越えた鉄道」を認定…というニュースを耳にした。同市町間を通る旧国鉄北陸線(旧柳ケ瀬線)が該当するのだが、現在は現行線へ切り替えのうえ廃線となっており、線路跡の大半が道路となっている。その道路を巡るのが今回のお題となるのだが、まずは全体を地図で見てみよう。

現在の北陸線は左図にて黒線で示した通りであるが、1957年までは一部が赤線で示したルートであった。このうち日本遺産のメインは長浜〜敦賀のようだが、本コーナーでは長浜〜南越前を対象とする

道のページにも関わらず、鉄道歴史の話が優先となることをご容赦頂きたい。長浜〜敦賀は大半が1882年(明治15年)に開通し、全線開通は1884年(明治17年)であった。ちなみに日本初の鉄道である新橋〜横浜の開通は1872年(明治5年)であり、わずか12年後に都市部ではない滋賀・福井の県境で鉄道が開通しているわけだ。それだけ当時は、日本海と琵琶湖の物流強化を重要視していたことの表れだろう。なお、この時点で東海道線はまだ全線開通していなかった(3年後の1887年に開通)。


■木ノ本から疋田までを巡る

今回の「海を越えた鉄道1」では、長浜市木ノ本から敦賀市疋田までの道を訪問した時のレポートをお届けする。ルートは左記の地図に描かれた赤線の通りで、途中の主だったポイントに絞ってレポートする。

■中之郷駅跡を横目に柳ケ瀬へ

木ノ本より国道365号を北上するとJR北陸線が並走するが、余呉駅手前で北陸線は西へ大きくカーブする。旧北陸線はカーブせず北上するが、その線路跡は現在の国道365号と重なる


余呉駅東側から
線路跡は国道と重なる

国道沿いに
中之郷駅跡有り

国道途中より
敦賀方面へ向かう

現行線分岐点より1.5kmほど国道を進んだ先、余呉町中之郷の国道沿いに「中之郷駅跡」がある。当時のものと思われるホームと、新しく設置された駅表札が迎えてくれる。柳ケ瀬越えを目前に機関車増結をここで行うほどの重要な駅だったが、今はそのような雰囲気を残念ながら感じられない。駅があったことのみを、静かに後世へ伝えているように感じる。

その先国道(線路跡)は、北陸自動車道(北陸道)とともに余呉川が刻む谷間を北上する。中之郷駅跡から約5km先に柳ケ瀬駅があったそうだが、バス停に姿を変えて駅の遺構は残ってないとのこと。訪問時も気付かず通過してしまい残念である。更に2km先に交差点があり、そこで線路跡と国道は袂を分かつ。線路跡を引き継ぐ県道へハンドルを切り、隧道達が待つ敦賀方面へ進もう。


■行程のサミット柳ケ瀬隧道

国道との分岐点のすぐ先に、滋賀と福井の県境を越える「柳ケ瀬隧道」が待ち構える。隧道の幅が鉄道単線分しかないため、信号機による交互通行となっている。


ルート最高点を
柳ケ瀬隧道で抜ける

隧道東口には
排煙装置の遺構あり

隧道西口到着
全長1352m

明治14年(1881年)着工・明治17年(1884年)開通の、現在使用中のトンネルとしては国内で2番目に古いトンネル。1番目に古いトンネルは別途確認(笑)とするとして、柳ケ瀬側(東口)はレンガ積みの隧道ポータル(入口)ではないのは残念なところ。一方で刀根側(西口)には当時をしのばせる雰囲気が残っており、自分の気持ちを高めてくれて嬉しい。なお、柳ケ瀬隧道は土木学会の選奨土木遺産に指定されている。

隧道上部にはコンクリート製の構造物があるのだが、これは隧道内を走る蒸気機関車のが出す排煙の排出口である。隧道東口を機関車通過した際に入口に幕を下ろし、空気流入を遮断する代わりに隧道内の排煙を吸引しここより排出する仕組みになっていたそうだ。距離があり傾斜がきつい本隧道では機関車が中で立ち往生するリスクが高く(実際に事故も多かった)、乗務員の生命を守るため排煙対策が各種取られたうちのひとつである。排出口は隧道入口側からは見えず、先程別れた国道より見下ろす形で確認できる。


■歴史刻む小刀根隧道

柳ケ瀬隧道を越え福井県側に入ると、敦賀市刀根地区で2箇所の隧道と出会う。県道上の「刀根隧道」と、県道から外れた「小刀根隧道」である。


柳ケ瀬隧道西側に
刀根隧道がある

小刀根隧道は
明治14年完成

刀根隧道は
道路用に改修済み

そのうち刀根隧道は道路拡幅に伴い改築され、残念ながら建設時の面影は残さず一般的な2車線の道路トンネル化している。逆に下記事情より県道ルートより外れた小刀根隧道は改築を免れ、明治14年建設の姿を今に伝えている。その小刀根隧道に立ち寄ることにする。

小刀根隧道が県道ルートから外れた要因は、線路跡が同地を境に西側を県道が、東側を北陸道建設で活用したからである。両者は道でつながっておらず、隧道は開削や拡幅等の工事が行われずに済んだ。また幸いにも放置されず、使用当時のまま美しく残り、土木学会の選奨土木遺産や敦賀市指定有形文化財に指定されている。中は多少暗さがあるが全長も60m弱であり、懐中電灯が無くとも特に支障なく見学できるだろう。


■曽々木?麻生口?

小刀根隧道にて「道路化に伴う開削」と記した対象隧道だが、敦賀市の現地案内看板では「曽々木トンネル」と書かれていた。その現状を確認する。


刀根・疋田間に
曽々木隧道跡が

航空写真にて
想定地を確認

切り通しにて
レンガ積み確認

「開削」というからには、それらしき地形が見当たるはずである。柳ケ瀬から刀根の隧道を通った県道は麻生口地区で国道8号へ合流し、線路跡も以降は現国道の改良に活用されている。その国道を曽々木地区へ向かうと、想定通り気になる切り通しがあったため確認対象とした。現地確認のうえ、なおかつ後日に行った新旧の航空写真比較より、確認結果は画像の通り「該当」と判断した。隧道が消滅したのは残念であるが、わずかに遺構らしきものが残っていたのは幸いだったのかもしれない。

なお、wikipediaで関連情報を確認していたところ、「曽々木隧道」の表記は無く代わりに「麻生口トンネル」の表記があった。同ページによると麻生口トンネルの“その後”は「切り通し化」とのこと。恐らく曽々木隧道と同じ隧道のことを記しているのだろう。名称が異なる理由や背景等まではここで踏み込まないが、本コーナーでは「曽々木隧道」の表記で進めさせていただいた。


■疋田駅は石積みのみ

やがて旧線と現行線の合流の地となる疋田に到着するのだが、現行線には「新疋田駅」はあるが「疋田駅」は無い。疋田の集落内に駅があったということだが、現在はホーム石積みの一部が残るだけだという。

2018年に住民の方が駅表札を設置したというニュースがあり、機会があれば筆者も再訪をすべく検討中である。




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