みちびき
★ 甲子道路(福島県) ★
−道 Before ⁄ After−
文面作成:2018 ⁄ 10 ⁄ 13
(最終更新:2019 ⁄ 03 ⁄ 30)


「道 Before ⁄ After」について

ここでは、新道開通等のイベントによる道たちの変化具合を画像比較通じレポートしたものである。
発展や衰退など、彼らがどう変わっていったのかを目に留めて欲しい。


「甲子道路」の場所



レポートリスト

 
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■「甲子道路 開通しました」

いきなり「甲子(かし)道路」の名が登場する。同道路は福島県を東西に走る国道289号のうち、甲子山(標高1549m)を越える区間(同県下郷町・西郷村間)を指している。何故この道路を紹介するのか?

2008年9月の「甲子道路」開通により、延長4,345mの甲子トンネルで甲子山を越えるようになったが、それまでは「不通区間」…そう、道路(特に“酷道”)ファンの聖地「登山国道」であったからである。同道路開通でどう変わったのか興味がある。


まずは、訪問当日の経緯から。個人的な話で恐縮だが、筆者は甲子道路開通の頃は新潟に住んでいた。新潟と福島は隣り合っていることもあり、上記理由より開通1ヶ月後に現地へ足を延ばしたのだった。

隣同士の県ではあるが、新潟県も福島県も広い。自宅から新潟県魚沼市〜福島県只見町〜下郷町最短ルートで向かったが、距離は200km超と気軽なドライブとは程遠い。車でも長く感じる4kmの甲子トンネルを抜け、「登山国道」のある西郷村へ到着した


「登山国道」は、“国道標識が立っている登山道”を指している。一般論としては“車が通らない山中の登山道に、なぜ標識が…”となるのだが、そのイレギュラーさが道路ファンの心を奪った(笑)のである。

先輩となる道路関係サイトで登山国道に興味を持った筆者は、2004年の家族旅行中に同地へ立ち寄り、“国道標識”を写真撮影したのだった。その風景が、甲子道路開通で変化があったのか。


■「聖地」はこうなっていた

レポートは2004年訪問時をベースに、2008年の状況をお伝えする形で進めたい。旧国道より甲子温泉「大黒屋」前を通らせていただき、阿武隈川の川面へ向け急坂を下る。ここまでは車も走れる道路状況である。

その先に、阿武隈川を渡る橋がある。、歩行者もしくは軽車両しか通れなさそうな小さな橋だが、その袂に国道標識が立っている。現物見ると改めて感動する一方、「なぜここに?」という気持ちにもなる。

そして2008年に同じ場所へ。しかし残念ながら標識は撤去済み。理解はできるが寂しい。


橋を渡った後は、阿武隈川支流沿いを歩む。道路状況も「登山道化」し、車両通行は完全に無理(オフロードバイクなら可?)。登山者気分に浸り数分歩くと、もうひとつの“ポイント”に到達する

そこには山中に立つ国道標識があり、「登山国道」標識撮影の名所でもあった。しかし2008年訪問時には、先の“橋の袂”と同様にこちらも残念ながら撤去済みであった。 そこから先も念のため散策するも、深入りしない範囲では新たな標識は見当たらない。引き返すことにした。


登山道ではないが、甲子温泉までの旧国道上には「傾斜20%」標識があり、こちらも道路ファンの心をつかんでいた。こちらはどうなったのか。少し距離があるが、せっかくなので確認に向かった。

結論として、こちらは幸い標識が残っていた。まぁ、国道から村道になっても、急坂の標識は共通であるから当然と思われる。


■そして聖地は伝説となった?

レポートのとおり、国道標識は撤去となっていた。バイパスができたのだから、やむを得ないと考える。

道路ファンの聖地がひとつ失われてしまったわけだが、筆者は「伝説」になったと前向きに考えたい。そのため、在りし日の記録も含め当ページを作成し残すこととした。



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