★ 赤川鉄橋(大阪府) ★
−道 Before ⁄ After−
文面作成:2018 ⁄ 02 ⁄ 18
(最終更新:2019 ⁄ 03 ⁄ 30)
「道 Before ⁄ After」について
ここでは、新道開通等のイベントによる
道たちの変化具合を画像比較通じレポートしたもの
である。
発展や衰退など、
彼らがどう変わっていったのか
を目に留めて欲しい。
「赤川鉄橋」の場所
レポートリスト
--------- 画像を押すと拡大表示されます ---------
■赤川鉄橋
今回紹介するのは、大阪市の淀川にかかる「赤川鉄橋」である…と書くと、「
なぜ、道の話なのに鉄橋なのか
」と思われるだろう。鉄道も鉄の道だろうという理屈も承知しているが(笑)、もちろん理由がある。
現在は純粋な鉄道橋(鉄橋)となっているが、過去に鉄橋内を
「歩道」と「鉄道(城東貨物線)」が同居した“併用橋”としての歴史があり
、筆者も2000年に道ネタ取材として同橋に訪問している。その歩道部分は、2013年に撤去されている。
■おおさか東線開業後に訪問
歩道が無くなったのは、同鉄橋を含む城東貨物線が旅客線(JRおおさか東線)として転用するうえでの複線化工事のためである。その後
JRおおさか東線が開業した
ので、現地訪問し以下に歩道併用時代との変化をレポートする。
おおさか東線が開通して2週間後、2019年3月30日に筆者は新大阪駅を訪れた。
同線開業後の赤川鉄橋へ向かう
ため、新大阪駅から鉄橋最寄り駅のJR淡路駅まで約5分間だけ同線電車に乗車した。出来立てほやほやの線路や駅舎は、当たり前だがきれいなので気持ちが良い。
■橋北側の堤防にて
JR淡路駅より歩いて10分ちょっと。訪れたのは
鉄橋の北側、大阪市東淀川区の淀川堤防
である。今回と併用橋時代(2000年11月)、そして複線化工事後(2017年11月)の、各々の画像を引用したので変遷を見てほしい。
現在は堤防を横切る形で鉄道が走り、道路は線路の下をくぐっている。
併用橋時代は堤防に踏切があり
、車はそこを走っていた。2017年の訪問時も踏切は健在だったので、2018年に道路の切り替えが行われたのだろう。
併用橋時代は、前述の
踏切より鉄橋内に木製の歩道が設置され
、対岸まで歩いて渡ることができた。今は踏切が無くなったため、同じ位置での撮影は不可となった。よって、2017年に撮影した画像と比較している。
歩道に向かって、右側に貨物用線路(単線)が通る。歩道上は歩行者の安全上、自転車等の車両は押して歩くことを求められていた。
今はここに線路が通り
、放出(はなてん)・久宝寺(きゅうほうじ)駅向けの電車が走行している。
■鉄橋を歩いた思い出
併用橋だった時に、途中までだが歩道を歩いて川を渡ることにした。すると計ったように、反対方向よりごう音と共に貨物列車がやって来た。
横を通過する列車は迫力があり
、圧倒されつつ列車を見送ったのだった。
今は鉄橋立ち入りが不可のため、そのような貴重な体験を味わうことが不可能となっしまった。
本来の鉄橋という目的戻った
のだが、個人的には寂しい気持ちになった。
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